tag:blogger.com,1999:blog-26057653718350297792024-02-20T02:00:12.595+09:00膠原病と仲良くする100の方法発病〜再発までの体験談です。※発病から16年。当時と現状とでは治療方法等に違いが生じている可能性があることをご了承上、参考にしていただければうれしいです。麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comBlogger25125tag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-12718564606385008982008-06-08T01:38:00.005+09:002008-06-08T18:32:05.683+09:00発病した方へ<span class="text"><span style="font-size:85%;">膠原病をご存知の方でも、一つの病気と思っている方がいらっしゃいますが、膠原病は総称であって診断名ではありません。(※膠原病という診断名はないということですよ)<br />膠原病はそれぞれの病気ごとや個々人により、症状・経過・予後、そして治療方法が全く違います。<br /><br />この病気(SLE)は、重度の症状の方もおりますが、病気を理解し適切な治療をする。そして病気を誘発する要因となるものに注意した生活をおくることで、病気の活動は抑えられ、緩解状態へとつながり、健常者とほとんど変わらない社会生活を送れることが多いのです。<br /><br />現在では以前に比べて、ポピュラーになりつつある膠原病ですが、難病というイメージが先行して一人歩きしているように感じます。膠原病(SLE)=難病で はありますが、難病と言う言葉に捕らわれすぎず、自分の病気を理解し、自分の病状を的確に把握することが大切なことです。そのためには主治医とのコミュニ ケーションは私達患者にとっては欠かすことができない重要な点かと感じています。<br /><br />また、難病と言う言葉から悪い方・悪い方へ考え、ネガテェブになる方がたくさんおります。それは決して病気に良いことではありません。その反対に病気に負けない・負けないという気概は、時としてストレスや焦りにつながってしまいます。 まずは、病気と闘うというよりも、ポジティブな気持ちを持ちながら、病気とうまく付き合っていくことが一番大切なことかと思います。<br /> <br />そして、さまざまな情報が氾濫している中で、一つの情報だけを鵜呑みにすることなく、その情報を見極め・自分にどのように生かすかという判断も時として必要なことです。 このサイトがみなさんにとって、情報源の一つになってくれることを願っています。 </span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-62326870904710930802008-06-08T01:37:00.008+09:002008-06-08T14:56:15.185+09:00発病時の初期症状(発病1992年6月)<span style="font-size:85%;"><span class="text"> 1.疲れやすく、身体のだるさが続く。<br />2.食欲がなくなり、食べる気力も衰える。<br />3.熟睡した感じがなくなる。<br />4.髪の毛が抜けだす。(シャンプーの時や枕カバーについた抜け毛の量に驚く)<br />5.微熱が続く。(平熱が35度5分くらいなので、37度以上になると、いっそう身体がだるくなる)<br />6.指先・手首・肘・肩などの関節に痛みがでる。<br />7.両足がむくむ。(大根のようにむくんだ足に驚く)<br />8.左腕が上がらなくなる。<br />9.頭・腕・足に少しだけ発疹ができる。<br />10.寝返りができなくなる。<br />初期症状の特徴として、全体的な症状は午前中に集中し、午後から落ちつく感じがありました。特に微熱は午後からは平熱になり、夜から翌日にかけて熱が上がりだすといった具合です。関節の痛みは一カ所にとどまらず、短日時で移動しました。</span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-53499854313598742192008-06-08T01:37:00.007+09:002008-06-08T14:54:55.543+09:00発病前の生活状況<span class="text"><span style="font-size:85%;"><b>仕事</b>: 仕事が忙しくなり、残業が続く日々を過ごしていました。それに加え、いろいろな面で精神的重圧を感じることが多くなっていたように思います。<br /><br /><b>食生活</b>: 朝食抜き、昼・夜もほとんどが外食ですませることが多くなっていました。<br /><br /><b>体調</b>: 身体の疲れやだるさを感じるようになった頃は、ドリンク剤やビタミン剤を服用することが多くなりました。しまいには会社近くの内科で点滴治療をしながら仕事をしていました。<br /><br />全体的にいつも身体がだるく、這うようにして会社へ行っていました。休日は横になっていることが多かったのですが、少し体調が良くなった時などは、ドライ ブや買い物に出かけていました。その外出した時は全く紫外線を気にしていませんでした。というより、いつも会社の中にいて、日光にあたることが少なかった ので、積極的に日差しを受けていました。</span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-37912544123797711222008-06-08T01:36:00.003+09:002008-06-08T14:56:53.369+09:00病名宣告<span class="text"><span style="font-size:85%;"> 身体のだるさとともに、微熱が続くようになりました。近所の内科病院で処方された風邪薬を服用し安静にしていたものの、一向に回復の兆しはありませんでし た。次第に関節痛やむくみなどの症状もでるようになり、とうとう熱が39度まで上がり、しまいには上半身が自分の身体ではないようになり、寝返りを打とう にも心とは裏腹に身体がいうことを聞いてくれない状態になりました。そんなこんなでアッという間に一人では起きあがることさえもままならない状態となり夜 間救急病院へ連れていってもらいました。<br /><br />救急病院では「風邪の症状に似ているが、風邪にはみられない症状がある」とのことから、なるべく早めに大きな病院での精密検査を受けることを勧められました。 私自身、今までにない体調の悪さに不安を感じ、さっそく次の日、某民間病院へ行き精密検査を受けたのです。<br /><br />2週間後の検査結果は「とても言いにくいのですが、膠原病の中の全身性エリテマトーデスという難病です。」と告げられました。はじめて聞いた病名にもう一 度聞き返し「へぇ〜、そんな病気があるんだなぁー」「なんだか口が回らない病名だな」とか思いながら人ごとのように頷ていました。そして、家路に着くまで の間、「難病」という言葉が頭の中をグルグルかけめぐっていましたが、全くと言っていいほど実感も動揺もありませんでした。<br /><br />なにはともれ、とにかく今までの体調の悪さの原因がわかり病名もはっきりして良かったと思いました。また、病状も軽く通院治療でも大丈夫という主治医の言 葉に「あ〜会社に迷惑がかからなくて良かった」なんて思っていました。私にとって「難病」ということはどうでもよかったし、気にしていなかったんですよ ね。<br />今回、病気を発見することが出来たのは、体調が悪かったこともありますが、夜間救急病院で担当医に精密検査を勧められたことがきっかけとなりました。この場を借りてお礼申し上げます。</span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-47202099307808741682008-06-08T01:35:00.006+09:002008-06-08T14:58:12.243+09:00通院治療<span class="text"><span style="font-size:85%;"> 治療はプレドニン薬25mg/1日からの服用となりました。プレドニン薬服用一週間後には、今までの諸症状がウソのように落ちつき「私は本当に病気なんだ ろうか…」と思うほど体調が回復しました。プレドニン薬を服用後の体調変化は食欲が増し、間食をするようになったことです。次第に顔がふっくらし、ムーン フェースの症状もでてきました。<br />発病当初は自分なりに日常生活に気を付けていたのですが、アッという間に体調が回復したことや、月1度の診察で病状は安定していると言われていたことか ら、とにかくプレドニン薬を服用していれば大丈夫! と思い込んでいました。そして、徐々に病気に対する注意力がなくなり、病気の要因とされていることに 関しては、ほとんど無頓着な状態になりました。しまいには発病時と同じような不規則な生活を送るようになっていました。<br /><br />通院8ヶ月後にはプレドニン薬を5mg/1日まで減量できました。この頃から、また発病時のような身体のだるさを感じるようになっていました。「変だ なぁ〜」と思いながらも、月1度の診察では毎回毎回『病状は良くなっている』と言われ、通院治療をしているのだから大丈夫! という自分勝手な思い込みを して体調の悪さを気にしないようにしていました。</span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-35649495283796879142008-06-08T01:35:00.005+09:002008-06-08T14:57:38.458+09:00発病から1年後の再発<span class="text"><span style="font-size:85%;"> 発病から1年を迎えようとしていた頃、突然、主治医が変わり、後任の先生から「私は循環器科が専門なので、膠原病専門の病院に行かれてはどうですか」と勧められ、某大学病院での再検査となりました。<br /><br />検査結果は「病状はきわめて悪く、入院が必要です」という言葉に耳を疑い、さらに追い打ちをかけるように「最低3ヶ月の入院が必要です」「それも、即入院 しなければなりませんよ」「補体値というのありますが、はほとんど0の状態ですよ」「そんな身体でよく仕事をしていましたね」と次々に発さられる思いもよ らない言葉にショックで、一時的に頭の中がパニック状態になってしまいました。<br /><br />民間病院では「病状は良くなっている」と言われ、その言葉をずっと信じ続けていただけに、まさかこのような病状になっているとは思ってもいませんでした。 「今まで通院治療していたことは、なんだったのだろう」「どうして? どうしてこんなことになったんだろう?」という思いをかき消すことが出来きませんで した。このやりきれない気持ちをどこにぶつけてよいのか、ただただ呆然となってしまいました。<br /><br />発病から再発に至るまでを振返り感じたことは、自分のことは人任せ(ドクター任せ)にしてはいけないという思いが強くなりました。病気を理解し、自分なり に納得のいく治療を心がけなければならないんだと…。それには発病の要因と考えられているものに対しては、できるだけ注意した生活を送ること。そして、患 者には病院及び主治医を選択肢出来る特権があるということと、信頼できる主治医を探すことの重要性を感じました。 今後、この教訓を生かして病気と付き合っていきかなければと思いました。</span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-20105289341271598972008-06-08T01:32:00.006+09:002008-06-08T14:58:46.605+09:00入院記録_1993年6月<span style="font-size:85%;"><span class="text"><b>■06/24 入院</b><br />入院する日までに『なんとか体調を保ち、仕事の後継ぎをしなければならない』という緊張感から開放されたせいか、入院直後から高熱をだしてしまいました。翌日、同室の方が退院するということで、お寿司を頂いたのですが食べることができませんでした。<br /><br /><b>■06/28 特定疾患申請</b><br />今回、入院ということで申請することになりました。発病した時点で申請しておくべきでした。<br /><br /><b>■06/30 腎生検</b><br />腎生検は短時間で終わったのですが、腎生検後は起き上がることはもちろんのこと、寝返りをしてもいけないとのこと。身体は固定されたままの状態が何時間も 続き、徐々に腰がだるくなり、しまいには抜けるような痛さが襲ってきました。2度ほど体勢を変えてもらったのですが、腰の弱い私には、とても辛かったで す。<br /></span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-20693770585358189702008-06-08T01:31:00.009+09:002008-06-08T15:01:16.926+09:00入院記録_1993年8月<span style="font-size:85%;"><span class="text"><b>■08/02 眼科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />ヘルペスの点滴治療(ゾビラックス)をして10日目頃から文字がぼやけて見えるようになりました。その症状は徐々に進み、しまいにはカレンダーの大きな数 字までもがはっきりとみえなくなりました。眼科では視力低下と診断されましたがどうも納得がいきませんでした。そんなこんなで点滴治療(ゾビラックス)が 終了した2日目頃ことです。以前と変わらず文字がはっきりと見えるようになったのです。非常に不思議な体験でした。<br />※主治医の話では一時的な目の異常は、点滴治療が関係しているのではないかとのこと。しかし、点滴治療薬『ゾビラックス』の副作用には、目に異常がでるということはうたっていなとのこと。このような副作用がでたのは、はじめてだと言ってました。<br /><br /><b> ■08/03 皮膚科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />ヘルペスの診察です。ヘルペスによってできた沢山の水疱は潰瘍となりただれていたのですが、徐々に茶褐色になり乾燥し、かさぶた状態にまでなってきまし た。ヘルペス治療では皮膚科と麻酔科(レーザー治療)で治療をしていたのですが、皮膚科で処方された塗り薬はほとんど使っていませんでした。<br /><br /><b>■08/03 ヘルペスによる点滴治療終了</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />12日間の点滴治療(ゾビラックス)が終了しました。日を重ねるごとに点滴針を刺すところがなくなり、担当の先生が困っていました。<br /><br /><b>■08/04 プレドニン以外の薬が増える</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />1)ガスター→胃酸産生を抑える<br />2)アルサルミン細粒→胃粘膜保護<br />3)ノイエルS→胃粘膜保護<br />4)酸化マグネシウム(カマ)→便を軟らかくする<br />5)ロカルトロールカプセル→骨粗鬆症予防<br />6)イスコチン錠→抗結核剤<br />7)ピドキサール錠→ビタミン剤<br />8)アローゼン→下剤<br />『4)・5)・7)』の薬が新たに増えました。<br /><br /><b>■08/05 個室を抜け出し運動をはじめる</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />この頃から、足の筋力が落ちていることに不安を感じるようになりました。ヘルペスの点滴治療が終了したこともあって、早朝、個室を抜け出し非常階段で上り下りの運動を始めました。←本当は個室から出てはダメなんです。すんません。<br /><br /><b>■08/13 麻酔科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />ヘルペスによるレーザー治療は16日間毎日、続けました。レーザー治療の効果で、神経の痛みはほとんどなく、皮膚も短期間できれいな状態になりました。ヘルペスの治療にはレーザー治療は効果ありです。<br /><br /><b>■08/16 プレドニン薬1日/60mg続行</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />プレドン薬は1日/60mgを継続投与する期間は6週間が通常と聞いていましたが、私の場合、なかなか補体値が上がらないこととループス腎炎を抑えること を目的に1日/60mgを7週目まで続行し服用することになりました。その後は随時経過を見極めながら判断するとのこと。減量できるのだろうと思っていた ので残念でした。<br /><br /><b>■08/17 両膝の痛み</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />突然、両膝が痛みだし夜中に目を覚ましました。膝の激痛は鎮痛剤の座薬をさしても一向に治まることはなく、しまいには痛み止めの注射をうってもらいました。不安と痛みで一睡もできず朝を迎えたのでした。<br /><br /><b>■08/18 整形外科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />膝の痛みが激しく、歩くことが出来ず車椅子で外来へ連れて行ってもらいました。痛みの原因は『無理な運動のしすぎで、膝に水が溜まっている』とのこと。 足の筋力を鍛えるため、毎朝、個室から抜け出して階段の上り下りの運動をしていた私。それがこのようなことになってしまうとは…。とほほほほ。<br />詳しくは「100の方法」/[003]規則破り&思い込みの痛〜いツケをご覧ください。<br /><br /><b>■08/18 薬の追加と減塩食</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />●リポバス→コレステロールを抑える<br />コレステロールが高いことからこの薬が増えました。<br />血圧が非常に高いため、減塩食になりました。<br /><br /><b>■08/19 神経精神科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />診察内容は朝食メニューを聞かれ、悩みはないかなどなど。そして、100から7を順に引いてくださいとのこと。一瞬、戸惑いましたが、なんとか無事にでき ました。急に言われると焦りますね。で…どうして7という数字をひくのだろうかと看護婦さんに聞いてみると7という数字を引いていくのが一番面倒だからと か。随時、安定剤を服用することになりましたが、実は飲んでいませんでした。<br /><br /><b>■08/22 胃の痛み</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />唯一の楽しみである食事ができないくらいに、胃がギリギリ痛み出したのです。<br /><br /><b>■08/24 プレドニン薬1日/60mg続行</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />先週に引き続き、やはり今回も血液検査のデータが思わしくなく、プレドニン1日/60mgを8週目まで続行することになってしまいました。<br /><br /><b>■08/30 口内炎ができる</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />口の中全体に口内炎ができてしまいました。口内炎はほっぺの両側・上舌全体から舌の下、さらに唇・しまいには喉の近くまで。このような状態にまでなってしまうと、食べ物・飲み物を口に入れること自体が痛みとなり、唯一の楽しみである食事が苦痛となってしまいました。<br /><br /><b>■08/30 個室から大部屋へ移動</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />ヘルペスが原因で個室へ入ってから、39日目にして大部屋へ移動となりました。入院当初は多量のプレドニン薬を服用していたことで、精神的にハイ状態とな り騒いでいました。今までの自分では考えられないような状態だったと思います。個室に移動したことで集団生活から開放され、精神的に落ちつくことができた ました。ヘルペスというアクシデントが自分のペースを取り戻すきっかけとなりました。実はもっと個室にいたかったなー。<br /><br /><b>■08/31 プレドニン薬の減量</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/50mg</span><br />朝25mg・昼15mg・夜10mg<br />ようやくプレドニン薬が1日/50mgに減量となりました。1日/60mgを8週間は長かったですね。同じ頃に入院した同病者のかたは、すでにプレドニン薬が1日/45mgまで減量となっていました。<br /></span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-74086695798820336752008-06-08T01:31:00.007+09:002008-06-08T14:59:19.165+09:00入院記録_1993年7月<span style="font-size:85%;"><span class="text"><b>■07/01 腎生検後</b><br />夕方になってから、ようやく尿管が取れ起き上がれるようになりました。結局、1日半以上固定された状態でした。ちょっと、きつかったな〜。ちなみに同じ検査をした方は、もっと早くに起き上がることができたようです。<br /><br /><b>■07/02 外泊許可</b><br />治療開始前の最後の外泊。今思うと、次の外泊まで長かったなー。<br /><br /><b>■07/05 歯学部ホテツ科へ</b><br />朝食に出た「ほうれん草のおしたし」を食べていた時に、差し歯が抜けたんです。なんだか不吉な予感を感じさせる出来事でした。<br /><br /><b>■07/06 プレドニン服用開始</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span> 朝30mg・昼20mg・夜10mg(8週間)<br />プレドニン薬だけは、毎回、看護婦さんが一人一人に配ってました。<br /><br /><b>■07/08 会社へ診断書提出</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />とりあえず6ヶ月の休職願いを会社に提出しました。<br /><br /><b>■07/09 皮膚科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />手・足の発疹はSLEの症状とのこと。痛みは全くありませんでした。<br /><br /><b>■07/12 産婦人科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />鉄分不足の原因は婦人科系にあるかもしれないとうことで、診察となりました。この時は異常が見あたらなかったのですが、退院後の診察で子宮内膜症と診断されました。今回の診察では子宮ガンの検査もしました。<br /><br /><b>■07/16 胃カメラ検査</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />胃カメラ検査は今回で3回目。同じ検査を何度しても、涙はでるわ〜鼻水もでるわ〜よだれがダラダラ。しまいにはゲボゲボと吐く始末だ。入院中、胃カメラ検査を更に何回かすることになったのですが、検査に慣れることはありませんでした。<br /><br /><b>■07/18 産婦人科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />7月12日の子宮ガンの検査結果は異常なしとのこと。<br /><br /><b>■07/20 便秘症状〜下剤服用</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />便秘が続き、お腹がはってきて、食べたものをもどす状態になり下剤を服用することになりました。このような状態になっても、食事の量を抑えることができませんでした。薬の副作用のせいでしょうか、病院食がおいしくて、なんでも食べたいという状態でした。<br /><br /><b>■07/22 便秘症状〜座薬使用</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />下剤の効果がなく、座薬を入れることになりました。これで少しだけですが、一時的に楽になりました。<br /><br /><b>■07/22 お腹に赤い発疹ができる</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />夜中、トイレに行ったときにお腹にブツブツした発疹を発見。<br /><br /><b>■07/23 皮膚科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />お腹の赤い発疹はヘルペスと診断されました。(ヘルペスは今回を入れて3回目です)<br /><br /><b>■07/23 ヘルペスのため個室へ移動</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />ヘルペスと診断されたことで、感染の恐れがあるので個室へ移動となりました。入院生活にようやく慣れてきた時だっただけに、精神的に動揺し、病室内で泣き叫んでしまいました。皆さんには大変ご迷惑をかけて、すいませんでした。個室では、 洗濯・シャワー・面会人の入室禁止となり、家族と離れて暮らしていた私にとって洗濯が出来ないことが非常に困りました。<br /><br /><b>■07/23 ヘルペスの治療開始</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />1日3回の点滴(ゾビラックス)治療開始 。午前中・午後から・就寝前の計3回の点滴で、1回の点滴は約1時間30分くらいです。就寝前の点滴では寝てしまうこともありました。<br /><br /><b>■07/26 麻酔科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />ヘルペスのためレーザー治療開始 。治療時間は約15分くらいで、患部にレーザーを当てるとピリピリとした痛みを感じることもありましたが、このレーザー治療をすることによって、神経の痛みが軽減されることや痕があまり残らないとのことでした。<br /><br /><b>■07/26 右足親指化膿する</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />足の親指を深爪したことから、バイ菌が入り化膿してしまいました。抗生物質を服用し少しづつ良くなりましたが、完治まで1ヶ月以上もかかりました。大量にプレドニン薬を服用しているときは、小さな傷でも気を付けなければいけないと思いました。<br /><br /><b>■07/27 皮膚科外来(ヘルペス診察・治療)</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />ヘルペス自体の痛みはほとんどなかったのですが、ヘルペスが背中の方まで広がってしまいました。<br /><br /><b>■07/27 MRI検査</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />カプセル容器に入っているような感じでした。中ではリラックスさせる音楽が流れているのですが、急にガッガッガッという音には耐え難いものがありました。 検査結果は異常なしでした。<br /><br /><b>■07/29 病状説明</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/60mg</span><br />腎生検の結果がでたことにより、主治医より現在の病状や今後の治療方針の説明を受けることになりました。病状は低補体値であり、SLEに伴う進行性の腎病 変があるとのこと。治療に関しては、プレドニン薬の効果を期待し、治療経過を見極めながら随時治療方針を決めるということでした。SLEを理解していな かった私の質問にも、解りやすく説明してくれたのが印象的でした。<br /><br /><b>ひとこと</b><br />入院してから約1ヶ月が経ちました。さまざま検査やアクシデントがあったりと、アッという間に過ぎました。 今年は冷夏ということで、暑さに弱い私にとってはとても過ごしやすく助かりました。</span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-57900414224624373682008-06-08T01:30:00.002+09:002008-06-08T15:00:45.727+09:00入院記録_1993年9月<span style="font-size:85%;"><span class="text"><b>■09/01 薬の追加</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/50mg</span><br />●ニバジール→血圧を下げる薬<br />先月から減塩食にし様子をみていたのですが、なかなか血圧が下がらず薬を服用することになりました。<br /><br /><b>■09/03 口腔外科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/50mg</span><br />ますます口内炎がひどくなってしまいました。舌や皮膚が剔られ、食事もままならず、しまいには声を出すにも痛みが伴うようになってしまいました。<br />※声を発することが容易に出来ないことから、看護婦さんがサインボードを用意してくれたり、同室の患者さんは、○X式の札を作ってくれました。しばらくの間は「サインボード」と「○×式札」で会話をしていました。みなさんのあたたかい行為がとてもうれしかったです。<br />※口腔外科では「プレドニンを大量に服用しているときは、治療のしようがなく、プレドニンの減量とともに自然と治ってくる」とのこと。当面の対処療法とし て、麻酔薬(塗り薬)を口の中に塗り、神経をマヒさせて食事をしてみることになりました。この麻酔薬、口に塗るとベタベタして気持ち悪く、食べるものと薬 が一緒になってしまい、とてもイヤでした。<br /><br /><b>■09/09 神経精神科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/50mg</span><br />定期的な診察で、引き続き安定剤を服用することになりました。この薬、一粒が大きくて咽につまりそうでした。<br /><br /><b>■09/09 眼科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/50mg</span><br />定期的な眼圧検査で、特に異常がありませんでした。<br /><br /><b>■09/13 口腔外科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/50mg</span><br />徐々に口内炎が回復し、麻酔薬なしで食事をすることができるようになりました。<br /><br /><b>■09/13 プレドニン薬減量1日/40mg</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/40mg</span><br />プレドニンの減量時は身体がだるくなり体調が優れないことが多いのですが、今回はそのような症状はなく、とても調子よかったです。もしかしたら、昨日から眠剤の薬を変えたことで、ぐっすり眠ることができたからなのだろうか。<br /><br /><b>■09/16 神経精神科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/40mg</span><br />今日で外来診察は終わりになりましたが、随時、安定剤は服用するようにとのこと。今だから白状しますが、その後、安定剤は服用しませんでした。<br /><br /><b>■09/16 おかゆ食から一般食へ</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/40mg</span><br />口内炎のため『おかゆ食』にしていたのですが、通常のご飯のメニューになりました。<br /><br /><b>■09/17 薬の追加</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/40mg</span><br />血液検査の結果、貧血ということで、鉄分の薬が増えました。朝・夕=1錠服用です。<br /><br /><b>■09/19 鉄分の薬、服用中止</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/40mg</span><br />鉄分の薬を服用してから、吐き気と胃痛がひどくなり服用を中止することになりました。<br /><br /><b>■誕生日</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/40mg</span><br />病院で迎える初めての誕生日です。同室の方や友達・同僚・家族からいろいろなお祝いを頂きました。うれしかったなー。早く退院出来るようにがんばるぞーと意気込んでいました。<br /><br /><b>■09/21 口腔外科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/40mg</span><br />口内炎の診察を受けたとき「唾液の量が少ない」と言うことでシェーグレン症候群の検査をすることになりました。<br />※18歳の時に『ガマ種』になり、右の唾液腺が詰まり、違う場所に穴を開けて唾液を出すようにしてるんです。<br /><br /><b>■09/24 入院3ヶ月</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/40mg</span><br />アッという間! なのか ようやく! と言うべきなのか、3ヶ月目の入院生活を迎えました。このまま順調にいくと、1ヶ月後には外泊許可を出せるとのこと。楽しみ。<br /><br /><b>■09/27 口腔外科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/40mg</span><br />シェーグレン症候群の検査です。今回は右側の唾液腺の検査をしました。この検査、とにかく痛いです。<br /><br /><b>■09/27 プレドニン薬減量1日/35mg</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/40mg</span><br />35mgになった時点で5mgごとの減量となりました。<br /><br /><b>ひとこと</b><br />体調の良し悪しが極端な日が多い月でした。特にプレドニンの減量とともに、2〜3日は身体がだるくベットに横になっていることが多かったです。<br /></span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-46702498204900690072008-06-08T01:29:00.007+09:002008-06-08T15:03:07.921+09:00入院記録_1993年10月<span style="font-size:85%;"><span class="text"><b>■10/04 口腔外科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/35mg</span><br />シェーグレン症候群の検査です。今回は左側の唾液腺の検査です。検査結果は「唾液の量と唾液の出方は悪いがシェーグレン症候群とは認められない」とのこと。なにはともあれ、ホッとしました。<br /><br /><b>■10/08 胃カメラ検査</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/35mg</span><br />前回(8/27)の胃カメラ検査で大きな潰瘍があったことから、その潰瘍がどのような状態になっているかの再検査です。検査結果は多少潰瘍が小さくなっていたのですが、まだ潰瘍があるとのこと。<br /><br /><b>■10/08 減塩食(6%)となる</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/35mg</span><br />高血圧のため、減塩食と血圧を下げる薬を服用していたのですが、それでも血圧は下がらず、今回、さらに6%の減塩食となりました。6%とともなると、ほとんど味がしない状態でした。<br /><br /><b>■10/12 プレドニン薬減量1日/30mg</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/30mg</span><br />朝15mg・昼10mg・夜5mg<br />同じ頃に入院した方は、退院の話が出るようになっていましたが、私はもう少しかかりそうです。<br /><br /><b>■10/12 レントゲン検査</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/30mg</span><br />股関節の検査で異常がありませんでした。<br /><br /><b>■10/14 また口内炎ができる</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/30mg</span><br />今回は唇だけだったのですが、また以前のような口全体が口内炎になるのではないかという不安がありました。<br /><br /><b>■10/15 肝臓エコー検査</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/30mg</span><br />肝臓に脂肪がついているとのことだったのですが、あまり気にしなくてよいとか。<br /><br /><b>■10/20 リハビリ開始</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/30mg</span><br />ようやくリハビリを開始出来る状態にまでなりました。リハビリは約1時間位ですが、久しぶりに身体を動かしたせいか、病室に着いた途端、ぐったり疲れてし まいました。リハビリできるような状態になったうれしさとは反対に、アー、こんなんで大丈夫なのだろうかという不安もありました。<br /><br /><b>■10/22 入院後、初めての外泊</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/30mg</span><br />4ヶ月ぶりの外泊。うれしかったですね〜。久しぶりのお風呂にも大満足でした。<br /><br /><b>■10/26 プレドニン薬減量1日/25mg</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/25mg</span><br />朝15mg・昼10mg<br />この当時と言うべきかなのか、この病院の方針なのか、その基準ははわかりませんが、プレドニン薬1日/25mgまで減量できる時点が退院ラインだとか。私もようやくその退院ラインに到達したのですが、自分の思いとは裏腹に入院生活が続きました。<br /><br /><b>ひとこと</b><br />プレドニン薬が減量できるようになってからは、以前より眠れるようになり体調も良かったです。10月は入院中、補体値が一番良かった月です。<br /></span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-51675967910737291482008-06-08T01:29:00.006+09:002008-06-08T15:02:16.464+09:00入院記録_1993年11月<span style="font-size:85%;"><span class="text"><b>■11/09 プレドニン薬減量1日/22.5mg</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/22.5mg</span><br />朝15mg・昼6.5mg<br />11月に入ってから、補体値が下がり気味になりました。<br /><br /><b>■11/17 エンドキサンパルス治療開始</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/22.5mg</span><br />プレドニン薬1日/60mgを8週目まで服用することで、薬の効果を期待していたのですが思うように補体値が上がらりませんでした。さらに腎生検の結果が 「+4型」ということから、エンドキサンパルス療法(免疫抑制剤)の治療を開始することになりました。治療の点滴は約8時間。吐き気・だるさ・脱毛などの 副作用がありました。<br />詳しくは「100の方法」/[001]エンドキサンパルス(サイクロフォスファマイド)治療をご覧ください。<br /><br /><b>■11/22 プレドニン薬減量1日/20mg</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/20mg</span><br />朝15mg・昼5mg(8週間)<br />いぜんとして、低補体値の状態は変わらず。<br /><br /><b>■11/24 口腔外科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/20mg</span><br />また、シェーグレン症候群の検査をすることになりました。やはりこの検査は痛いです。</span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-36362319687995947022008-06-08T01:28:00.002+09:002008-06-08T15:03:49.806+09:00入院記録_1993年12月<span style="font-size:85%;"><span class="text"><b>■12/01 口腔外科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/22.5mg</span><br />検査結果は前回と同じく、シェーグレン症候群と認められませんでした。もうこの検査はしたくないです。<br /><br /><b>■12/15 エンドキサンパルス治療2回目</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/22.5mg</span><br />前回(1回目)の治療では、吐き気がひどく、かなり辛かったことから、今回は点滴内「吐き気止め」を入れることになりました。そのおかげで少し楽になり、 食事をすることができました。この治療では、吐き気の他に、髪の毛がすごく抜けてしまいます。もともと少ない髪の毛なので、抜けた髪の毛を見てはため息を ついていました。</span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-23894812839038389312008-06-08T01:27:00.003+09:002008-06-08T15:04:28.222+09:00入院記録_1994年1月<span style="font-size:85%;"><span class="text"><b>■1/12 エンドキサンパルス治療3回目</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/20mg</span><br />やはりこの治療中は身体がだるくなり、さらにそのだるさが2日くらい続きました。<br /><br /><b>■1/20 眼科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/20mg</span><br />定期的な眼圧検査です。検査結果は異常なし。<br /><br /><b>■1/24 ホテツ科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/20mg</span><br />ようやく「退院」と言う言葉をでるようになりました。退院が近いということから歯科の治療をすることにしました。<br /><br /><b>■1/26 胃カメラ検査</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/20mg</span><br />いまだに潰瘍が消えず、当分は薬の服用が必要とのこと。<br /><br /><b>■1/28 プレドニン薬減量1日/17.5mg</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/17.5mg</span><br />プレドニン量もかなり減量できたことで、毎日熟睡できるようになり、体調は良好です。<br /><br /><b>■1/28 ホテツ科外来</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/17.5mg</span><br />歯科治療です。<br /><br /><b>ひとこと</b><br />約この1ヶ月は、ほとんど検査もアクシデントもなかったことから、退院へ向けてリハビリに専念する毎日を過ごしていました。<br /></span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-29155641605457811752008-06-08T01:26:00.002+09:002008-06-08T15:05:07.359+09:00入院記録_1994年2月<span style="font-size:85%;"><span class="text"><b>■2/02 退院</b> <span style="color: rgb(153, 0, 0);">プレドニン量/17.5mg<br /><br /></span> 退院直前に風邪をひいてしまい微熱が続いたことから、退院が延期になりそうでしたが、強引に退院許可を得ることができました。退院当日は猛吹雪で、普段の行いが悪いからだろうかと同室の方々と苦笑いしていました。<br /><br />ま〜いろいろな不安はあるものの、とにかく退院できたことに『バンザ〜イ』と叫びたい気持ちでした。よかった。</span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-75137392337819475732008-06-08T01:23:00.005+09:002008-06-08T17:20:01.999+09:00プレドニンの減量にともなう補体値の動き_グラフ<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjyWYBXqt3j8B3ehW4VHsmHFtZaJxowSDvzHo5fawphy9lp22oS1HoUxwiZ7ncZg0zczatBR81vCh29Zn-jY_pzblB6mzBAmjGmfXZCltSzkrqMQMeqymICByGohKnMWp4G21K_KlZ2ebU/s1600-h/hotai_graph.gif"><img style="cursor: pointer;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjyWYBXqt3j8B3ehW4VHsmHFtZaJxowSDvzHo5fawphy9lp22oS1HoUxwiZ7ncZg0zczatBR81vCh29Zn-jY_pzblB6mzBAmjGmfXZCltSzkrqMQMeqymICByGohKnMWp4G21K_KlZ2ebU/s320/hotai_graph.gif" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5209176354574847938" border="0" /></a><br /><span style="font-size:85%;">入院期間:1993年6月〜1994年1月まで</span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-38409200980124508522008-06-08T01:18:00.007+09:002008-06-08T17:20:21.384+09:00プレドニンの減量にともなう補体値の動き_一覧表<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj4Pwi3m-9xKWYLlQJVCUGETBO5ddLYyP_Oyr9CwL0Tj7H7uXf6vtrL9B9SWC_HSQyP3j8981NDiJVdDzZJY1-5iWwk98XWpvwHBRO7lCRn8DR5dgMacxYOFjvREJToExY_Ui9sd0GP8Gc/s1600-h/hotai.jpg"><img style="cursor: pointer;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj4Pwi3m-9xKWYLlQJVCUGETBO5ddLYyP_Oyr9CwL0Tj7H7uXf6vtrL9B9SWC_HSQyP3j8981NDiJVdDzZJY1-5iWwk98XWpvwHBRO7lCRn8DR5dgMacxYOFjvREJToExY_Ui9sd0GP8Gc/s320/hotai.jpg" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5209421201664351682" border="0" /></a><br /><br /><span style="font-size:85%;"><br /></span><b></b>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-9919271494651725562008-06-08T01:17:00.002+09:002008-06-08T15:08:48.705+09:00退院後の生活<span class="text"><span style="font-size:85%;"> 当時、一人暮らしをしていた私でも退院後2〜3日は妙に落ちつかない感じがありました。入院生活に慣れてしまったせいでしょうね。<br />退院後当初は、なにか出来なくても『退院したばかりなんだから、しょうがない』と言う気持ちもあったのですが、1週間、2週間と過ぎると、その気持ちは焦りと不安に変わっていきました。 自分のペースをつかもうする気持ちとは裏腹に、身体が思うように動かないことに苛立ち、より一層不安の渦に陥っていきました。<br /><br />その焦りや不安を少しでも取り除くには、現状の自分の体力を再認識することでした。入院前は『あんなこともすぐ出来た』『こんなことも簡単に出来た』と 思ったところで状況が変わるはずがなかった。まずは今現在の自分を自分自身の中へ受け入れることから始まりました。そして日常生活のあらゆる行動に対し、 自分の体力に応じながら一つ一つクリアしていくことを心掛けました。<br /><br />その中でも、一番、自分の体力を計る目安になったのが買い物です。最初は近くのスーパーに行くだけで疲れてしまい、帰ってくるなりベットに横になってしまうという有様です。それが1ヶ月後には、疲れはするものの、すぐベットに横になるということがなくなりました。 更にその後は、買い物から帰ってきてすぐに、食事の支度ができるようになるまでになっていきました。<br /><br />日常生活の何気ない一つ一つの積み重ねが、徐々に体力の回復につながっていきました。しかし、さすがに少し体力が回復したなと思っても、電車での立ちっぱなし状態や地下鉄の階段の登り降りは、キツイな〜と感じました。<br /></span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-21064345756101642932008-06-08T01:15:00.003+09:002008-06-08T15:10:43.034+09:00会社復帰へ向けて<span class="text"><span style="font-size:85%;"> 日常生活では支障のない状態にまで体力が回復したのですが、果たして仕事をするだけの体力があるのだろうか? 今現在の私の体力はどこまで通用するのだろうか? という思いとともに、仕事を再開することでまた再発しないだろうかという不安を抱くようになりました。<br /><br />しかし『もう一度、以前のように仕事がしたい』『これからも一人で生活をしていかなければ』という強い思いが、私を会社復帰に向けて駆り立てていたように思います。 まず、会社復帰へ向けてしたことは、出勤時間に合わせた生活を送ることです。次に、通勤による体力の消耗を少しでも避けるために、会社から徒歩5分位のところへ引っ越をしました。<br /><br />会社復帰の時期に関しては主治医と十分に相談しました。主治医の意見は「長期入院だったことや病状が落ち着いたとは言えまだまだ不安定な状態だということ から、会社復帰はもう少し様子をみたほうがよいのではないか」とのこと。主治医のその言葉を理解し「やはり退院から3ヶ月後の会社復帰は無理なのだろう か」と思いつつも、どうしても会社復帰したいという気持ちを抑えることが出来ませんでした。<br /><br />周りが急速に動いているように感じ、自分だけが時計の針が止まった空間いて取り残されているような感覚に陥り、焦りと不安を打ち消すことが出来なかったのです。そして、今現在の病状や体力で、どのくらい仕事ができるのかを試してみたかった。 それは、今後もこの仕事を継続出来るのか? それともこの仕事を続ける体力はないのか? ということを自分なりに判断し納得して結論をだしたかった。その結果によっては、次の新たなる進む道をみつけなければならないだろうと思ったのです。</span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-1445315438795603972008-06-08T01:10:00.003+09:002008-06-08T15:10:18.141+09:00会社復帰への、もう一つの理由<span class="text"><span style="font-size:85%;"> それは『ムーンフェイス』です。<br />個々人、副作用に違いはありますが、私はこの『ムーンフェイス』がかなり酷かったように思います。<br /><br />入院中は同病者が周りに多く同じ副作用の方がいたこともあり、過剰に人目を気にするということはありませんでしたが、退院後はそうはいきません。外出する たび、街ですれ違う人全員が自分のことを好奇な目でみているような被害妄想をするようになったんです。そう思い込んでしまうと、外出するのがイヤになり、 誰にも会いたくないという状態となりました。それがどんどんエスカレートし、自分の殻に閉じこもるようになり、ますます自分だけが取り残されているような 焦りと不安に陥っていったのです。<br /><br />このような精神状態は一時的なことではありましたが、どうにかしてこの状況を変えなければならない思ったのです。この状況を変える手段として、イヤでも人と接する機会を作ることが必要なのではないかと思ったことが会社復帰へと駆り立てたもうひとつの理由です</span></span><span style="font-size:85%;">。</span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-79139338080769974132008-06-07T22:53:00.005+09:002008-06-08T15:11:41.244+09:00退院から3ヶ月後の仕事へ復帰<span class="text"><span style="font-size:85%;"> 入院から約1年、退院から3ヶ月後、仕事へ復帰することになりました。緊張と不安を抱えての出勤でしたが、同僚が快く歓迎してくれたことに心からホッとし 復帰出来たことがうれしかった。しかし、会社内部はさまざまな面で変わっており、その変わり様の中で自分の居場所がないことに気付くのに、そう時間はかか らなかった。<br /><br />まず、上司から今ままでの業務から一線を引きなさいとのこと。それは私の病気や体力的なことを考慮し、負担のかからない仕事へという配慮からでしたが、そ の通告は有り難いような寂しいような複雑な気持ちでした。とはいえ、復帰したばかりで体力面に自信がなかったことから、この言葉に甘えさせていただき、こ れが現実なんだということを改めて再認識しました。<br /><br />復帰してから1ヶ月後、自分が望んでいる業務ではありませんでしたが、どうにかこうにか体力的にも自信が付き始め、これならなんとかやっていけそうだ! という感触を持つ事が出来ました。ところが復帰3ヶ月目頃から仕事が忙しくなり、人手が足りないということから、入院前と同じ仕事をするようになりまし た。仕事内容や体勢自体が多少変わったものの、やはり自分が望んでいた仕事が出来るうれしさは格別でした。とは裏腹に体力的な面では大丈夫だろうかと不安 を感じていました。<br /></span></span><span style="font-size:85%;"><br /><span class="text"> 復帰後は疲れを明日に持ち越さないようにする・睡眠をとる・バランスの良い食事をするなど日常生活の体調管理に気を付けていました。しかし、仕事が忙しくなると、どうしても食事が不規則となり体調のバランスを崩し、疲れがとれないなーという状態の時もありました。<br /><br />日常生活の体調管理以外にネックになったことは定期的な外来検診です。外来検診は必ず受けなければならなず、丸1日有給を取ったり、午前中だけ有給をとり 午後から出社、または午前中は出社、午後から有給を取るなど、その時の仕事の状態で有給を使い分けてとっていました。 幸いにも有給休暇は自由に取ることが出来る環境でしたが、毎月の検診に加え、三ヶ月ごとの免疫抑制剤治療が重なったときなど、忙しい仕事の中で有給をとる ことに対して非常に負い目に感じていました。更に有給を取った分、その仕事の穴埋めをどこかで補わなければならず、結局は無理をしてしまうという悪循環と なっていました。<br /><br />とはいえ、会社に復帰でき、仕事ができるようになったことは、いろいろな意味で自信へとなり、このままの状態であれば、仕事を続けることは可能だと確信を得るようになっていました。</span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-46660893918549550222008-06-07T22:48:00.006+09:002008-06-08T15:12:27.506+09:00仕事復帰から1年後<span style="font-size:85%;"><span class="text">安定していたはずの病状が一変してしまったのです。経緯に関してはこちら(</span></span>100の方法の[冷えと寒さ/[002]スキーでこりごり]<span style="font-size:85%;"><span class="text">をご覧下さい。<br />症状が初期状態の時は、指先に傷テープを貼り、その上から指先サックなどして対処できたのですが、症状はアッという間に悪化してしまいました。なんとかして指先を保護し仕事を続けようと必死になりました。 指先にスポンジを付ける・包帯をする・綿の指サックを3重にしてみる・指サックの上から更に絆創膏をしてみるなどなど…。少しでも痛みを和らげるためにさまざまなことを試みました。その中で「指に包帯をし、綿の指サックを付ける」方法が一番痛みを和らげてくれました。<br /><br />しかし、この状態ではスムーズに仕事をすることができなかったのです。 指先が膨らんでしまい、キーボードを素早く打つことが出来ない・打ち間違いをしてしまうのです。そうなると仕事の効率が悪く、仕事に支障をきたすように なってきたのです。最終的にはどうしょうもなくなり、軽く指先を保護するだけにし、痛みをひたすら我慢し仕事をしていました。<br /><br />そうこうしている内に、症状は更に悪化し、痛みで眠れない日々が続き体調が崩れだしていきました。その頃、体調不調から泌尿器科で検査をすることとなり、検査の結果、尿道に腫瘍があり、悪性か良性かを調べることとなったのです。<br /><br />最終的に、この予想だにしていない思わぬ検査結果が退職を決めるきっかけとなりましたが、痛みを我慢することに疲れ果てていた私にとって、今が会社を退職する時期だと思いました。</span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-48084113829962593252008-06-07T22:46:00.006+09:002008-06-08T17:48:21.477+09:0010年後の病状比較<a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgzsd21IQtSW_6B-hR_rmCiQ1RftBjZfVaNdk3eNhXqAcPI2qTwSyxe774leL8AIznI5aKiA54-tYwBLIv2JwdptqxeR_7AP4PdMOxxDW2hnyt9wwUs_JCQ7rx-A6SkxNU-cAqa7vIg1bg/s1600-h/10year.jpg"><img style="margin: 0px auto 10px; display: block; text-align: center; cursor: pointer;" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgzsd21IQtSW_6B-hR_rmCiQ1RftBjZfVaNdk3eNhXqAcPI2qTwSyxe774leL8AIznI5aKiA54-tYwBLIv2JwdptqxeR_7AP4PdMOxxDW2hnyt9wwUs_JCQ7rx-A6SkxNU-cAqa7vIg1bg/s400/10year.jpg" alt="" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5209429758105807954" border="0" /></a><br /><a onblur="try {parent.deselectBloggerImageGracefully();} catch(e) {}" href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEitsd-X0de3vN8-mRPd-GrtlsjAPQ2Mhhsc5ni2Ka77G3a9X_jLljREGbtKacUXYRH5JXtG8DLnYo_CEbGrMAfDg9beJrFgpN5IFScq2MjjTN_4vbQ3JNO7CmWjrHY6sdEPzXESBSYdSA0/s1600-h/10year.jpg"><b><span class="text"></span></b></a><b><span class="text"><span style="font-size:85%;"><span style="font-size:100%;">【その他の症状】</span><br /><br />■1997年6月〜2003年6月<br />大腿骨骨頭壊死症状 (左足)と診断される。 </span></span></b><span style="font-size:85%;"><span class="text"><br />※診断されてから6年経過しているが、症状に変化はなく支障のない状態が続いている。</span><br /><br /><b><span class="text">■2003年9月30日</span></b><span class="text"><br /><b>定期外来検診が2ヶ月おきになる。</b></span><br /><span class="text">発病から11年…毎月欠かさず定期外来検診を受けてきた。その定期外来検診が2ヶ月おきとなったのだ。なにせ毎月の定期検診はさまざまな面で負担となっていただけに、うれしさもひとしおだ。 とは裏腹に、定期検診日が長くなった分、今以上に自分の身体に耳をかたむけ、体調の善し悪しの前兆となる声を聞き逃さないようにしなければと思っている。ま〜想像だにしていなかったことだから、素直に喜ぶことにしようっと(^^)<br /><br /><br /></span> </span> <span style="font-size:85%;"> <b><span class="text">再発から10年を振り返り</span></b><span class="text"><br />「発病〜再発」のページでも言ってますが、発病した時は「病気を発見出来てよかった」の一言につきたのだが、まさか…まさか…本当にまさかの再発は、まさ に青天の霹靂だった。この再発が引き金となり、病気に対する考え方が変わった。「もう絶対、再発なんかしない! 必ず良くなってみせる!」という思いか ら、自分で出来る範囲のさまざまなことをしてきた。<br /><br />ようやく緩解状態となり、今現在もこの状態を維持し続けている秘訣は、何か他とは違ったことをしてきたわけではない。病気に対してのちょっとした考え方だったり、日</span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-13296993579228990762008-05-08T15:26:00.000+09:002008-06-08T15:36:54.760+09:00寄稿集_「私の母」体験談 /はっぱちゃんより<span style="font-size:85%;"><span class="text">私の母は全身エリテマトーテスで亡くなりました。体験記で亡くなった人を書くのはどうかと思いましたが、誰かに聞いて欲しかったのです。全身エリテマトーテスでは、亡くなる人は殆ど居ないそうです。<br /><br />今年の3月ごろから食欲がなくなり、痛いところが毎日転々としているようでした。いろんな病院へ行き、色々調べてもらっても、何も体の異常はない。精神的 なものと診断されました。そうして診療内科へ行き、うつ病の薬をもらい、7月頃から副作用の少ないうつの薬を飲んでいました。が、やはり症状はあまりよく ならず、10月初めに入院させてもらいました。<br /><br />入院してから、調子がいっそう悪く、夜も寝られないぐらいつらく、さらに食欲もなくなりました。心療内科の先生も「おかしい」といい、うつの薬をやめ、そ の病院の内科の先生にもみてもらいましたが、その内科の先生も何ともないといいました。が、血液の酸素が測れなくなり、意識障害になりました。心療内科の 先生の薦めで違う病院に転院になり、その病院で意識障害は治まりましたが、なんの病気?と言う事が分からず、毎日毎日いろんな検査をしました。<br /><br />やっと病名が見つかりました。精神の病気ではなく、膠原病(全身エリテマトーテス)と診断されました。普通、赤い斑点が出来るそうですが、全身エリテマ トーテスの人の20%の人は斑点が出ないみたいで、お母さんは斑点が出ず、病名がわかりずらかったそうです。やっと、私たち家族は病名が分かり、やっとき ちんとあった治療をしてあげられると思いました。<br /><br />それから、強いステロイドを3日間投与しました。副作用は胃潰瘍とかむくみとか言われていました。が、妙にお腹を触ると痛がりました。先生に言っても胃が 荒れてるのでしょうと胃薬を点滴されました。それでも、すごく痛がり呼吸困難になり、CTを撮りました。結果、急性膵炎でした。点滴の方法か動脈からカ テーテルを入れ膵炎に薬を直接かけるという治療法があり、動脈入ってるときに動かすと、血があふれ出し危険と言われたので、点滴の治療を選択しました。 が、次の日点滴では追いつかず、動脈からでないと危険な状態と言われ、しぶしぶOKを出しました。<br /><br />足の付け根にカテーテルを入れるのは、足を動かすのは危険ということで意識を落とすと言われました。戻ってきた時は、人口呼吸器をつけていました。私たち は、うつの副作用の少ない薬でも意識障害が起きるのに大丈夫なの?と不安がありました。カテーテルを動脈にいれる手術をした後、先生が危険な状態、今日も つかどうかと言われました。<br /><br />私たち家族はびっくりで、言葉も出ませんでした。なんで?ステロイドさえしなければ、こんな副作用にならなくてすんだのに、膵炎になるなんて聞いてないし、まさか死の危険にさらされるなんて、まったく聞いてないよ。なんで?といろんな事が頭の中ぐるぐる回りました。<br /><br />ICUに入り、その日は居てくれとの事で、病院にいました。2時頃容態が落ち着きました。私たちはほっとしました。それから、1週間ほど、膵炎の治療をし ました。やっと膵炎の数値が下がり、次は、膠原病の治療と言う事で、血漿交換・人工透析を足の付け根から入れ、治療しました。2回しましたが、何も良くな りませんでした。<br /><br />そうして、落としてた意識を戻そうとしました。私たちはやっとお母さんとしゃべれると思い、ドキドキしていました。が、意識戻ってきません。自分で呼吸を するのですが、浅すぎて上手に出来ず、体も黄疸が出始めました。熱も下がりません。先生があと一つチャンスをくださいといい、抗がん剤の一つで全身エリテ マトーテスに効くのがアメリカで発表されたという事で、それを試してみますと先生がいいました。が、これも全く効きませんでした。もう先生も手の施しよう がなくなりました。 肺炎になり、最後は白血球30個しかなくなり、最初の病院を入院してから、わずか2ヶ月でこの世を去りました。<br /><br />最初入院したとき、年明けには退院してるだろうと思ってたのに。ほとんど、何も私たちに伝えることが出来ず、居なくなってしまいました。3月ごろからいろ んな病院にいってたのに分からず、もう少しきちんと調べてくれたら・・・どっから間違ってたの?なぜ何にも治療が効かないの?と色々な感情がめぐりまし た。呼吸器をとって、こんなに痩せていたことを始めて知りました。<br /><br />膠原病は怖い病気です。調子がいいからと過信しないで、ちゃんと病院いって下さいね。私のお母さんみたいにならないように、お祈りしてます。</span></span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-2605765371835029779.post-80538571667408248622008-05-08T15:19:00.000+09:002008-06-08T15:37:29.929+09:00寄稿集_「リウマチ」体験談 /ゆうこさんより<span style="font-size:100%;"> ※サブタイトル/【皮膚筋炎体験談】のたえこさん、ありがとう。<br /><br />はじめまして。ゆうこです。<br />現在、膠原病外来に3年程通院しています。<br />何か参考になればと思い、今までの経過を寄稿します。<br /><br />はじまりは、なんとなく手が上げずらい肩の痛みでした。 整形外科に行き、そこでレントゲンや血液検査の結果、 RA陽性・尿蛋白陽性・CRP数値などから「リウマチです。」 と言われました。<br /><br />それから、すぐにリウマチ薬が開始となった為、不安になった私は専門病院への紹介をお願いしました。どこかで、これは何かの間違いだと思っていたのかも知れません。<br /><br />専門の膠原病外来へ通院するようになり、2年半が経過した頃。<br />相変わらず、肩のまわりの痛みなどはありましたが痛み止めが効いていたのでしょう。仕事では、残業や重い荷物運びなども行</span><span style="font-size:100%;">っていました。<br /><br />ところが無理をした後に、ベッドから起き上がれないような痛みが起こるようになりました。<br /><br />少しづつですが、洗濯物が干しにくくなり通勤中のバッグが重く感じられ、階段の上り降りがギクシャクし始めました。 関節痛と手の甲・くるぶしに赤みがありました。<br /><br />こんな症状が出始めて、ようやく自分の病気を自覚するようになりました。<br /><br />この頃は、体もだるく何をするにも億劫です。 仕事では、重い物が持てなくて周りの助けが必要です。 ボトルのキャップが外しにくい・ファスナーが上げにくい・ レジでお金がすぐに取り出せないなど不便なことが多くなりました。 痛みで眠れない夜もあります。<br /><br /><br />そんな時、たえこさんの体験談を読んで少し元気を貰いました。<br /><br /><br />いつまで仕事を続けられるか分かりませんが、前向きに出来ることして行こうと思います。</span>麦麦http://www.blogger.com/profile/02865384282961746141noreply@blogger.com